氣づいたこと

自己責任の意味と社会的建前

さくだα波

メンターであられる松田悠玄様 そしてマスターであられるひまりさんの 教えを全力で学び実践し 世の中に良い事を配信していきます

「自己責任」という言葉の裏側にある罠

私たち日本人が日常的によく耳にする言葉、それが「自己責任」です。

「自分の行動には自分で責任を取る」確かに、それは正しいことのように聞こえます。

「そんなの当たり前だろ!」と思われる方もいるかもしれません。

確かに、何かを選び、決断した以上、結果を引き受ける覚悟は大切です。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてみてほしいのです。
例えば、「下流老人」や「孤独死」は本当にその人の“自己責任”なのでしょうか?

教えられてこなかった「生きる知恵」

私たちは、義務教育で人生の土台を学んだつもりで社会に出ていきます。

でも、学校で「老後の過ごし方」や「お金の運用」「心と体の整え方」を教わった記憶はあるでしょうか?

ほとんどの人が、そんな大切なことを知らされないまま社会に出ていくのです。

そして社会に出た瞬間、
「それはあなたの責任ですよ」「準備しなかったあなたが悪い」と突き放される。

初めから落とし穴が掘られている道を、何も知らずに歩かされていたようなものです。

誰が“自己責任”と決めたのか?

社会で失敗した、貧困に陥った人に対して
「努力しなかったからだよ」「怠けたあなたが悪い」と言われる風潮があります。

でも、そもそもその失敗に向かう“レール”を、誰が敷いたのでしょうか?

無意識に刷り込まれた価値観や競争主義、搾取の構造――
その中で私たちは、選ばされた結果として、今の状況にいるのではないでしょうか?

自己責任とは本当は“氣づき”から始まる

本当の意味での自己責任とは、
「社会構造や洗脳に氣づき、そこから脱出する覚悟を持つこと」かもしれません。

自分を責めるのではなく、
「自分で氣づき、自分で選ぶ」

という主体性を取り戻すことが、本当の“責任ある生き方”です。

これは私個人の氣づきです

「氣づいたあなた自身」のために、生き方を選んでください。

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