「自己責任」という言葉の裏側にある罠
私たち日本人が日常的によく耳にする言葉、それが「自己責任」です。
「自分の行動には自分で責任を取る」確かに、それは正しいことのように聞こえます。
「そんなの当たり前だろ!」と思われる方もいるかもしれません。
確かに、何かを選び、決断した以上、結果を引き受ける覚悟は大切です。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみてほしいのです。
例えば、「下流老人」や「孤独死」は本当にその人の“自己責任”なのでしょうか?
教えられてこなかった「生きる知恵」
私たちは、義務教育で人生の土台を学んだつもりで社会に出ていきます。
でも、学校で「老後の過ごし方」や「お金の運用」「心と体の整え方」を教わった記憶はあるでしょうか?
ほとんどの人が、そんな大切なことを知らされないまま社会に出ていくのです。
そして社会に出た瞬間、
「それはあなたの責任ですよ」「準備しなかったあなたが悪い」と突き放される。
初めから落とし穴が掘られている道を、何も知らずに歩かされていたようなものです。
誰が“自己責任”と決めたのか?
社会で失敗した、貧困に陥った人に対して
「努力しなかったからだよ」「怠けたあなたが悪い」と言われる風潮があります。
でも、そもそもその失敗に向かう“レール”を、誰が敷いたのでしょうか?
無意識に刷り込まれた価値観や競争主義、搾取の構造――
その中で私たちは、選ばされた結果として、今の状況にいるのではないでしょうか?
自己責任とは本当は“氣づき”から始まる
本当の意味での自己責任とは、
「社会構造や洗脳に氣づき、そこから脱出する覚悟を持つこと」かもしれません。
自分を責めるのではなく、
「自分で氣づき、自分で選ぶ」
という主体性を取り戻すことが、本当の“責任ある生き方”です。
これは私個人の氣づきです
「氣づいたあなた自身」のために、生き方を選んでください。